今日は浮世絵をお休みして
「大手町川端緑道」のお話から始めたいと思います。
神田の家が建っていた鎌倉河岸の対岸に
今年の4月にオープンした「大手町川端緑道」。
お昼時には、川辺のベンチでランチをとるOLさんの姿も見られます。
そこに建っている看板に
神田橋門石垣跡とあります。
その場所まで行ってみると
こんな看板が。
--------------------------------------
多くの堀に囲まれた江戸城には、
「三十六見附」と呼ばれるように、
道路と堀の交差する場所には敵の進入を防ぐための城門がありました。
神田橋門もそのひとつで、外堀(現在の日本橋川)に架かる外郭門で、
芝崎口・神田口・大炊殿橋とも呼ばれ、
寛永6年(1629)に下野真岡藩主稲葉正勝によって構築されました。
特にこの門は、将軍が寛永寺や東照宮に行くための御成道に位置するために、
その警備は重要でした。
明治5年(1872)に門は取り壊されましたが、
地中には城門石垣の一部が残されており、
ここに並べた石は工事中に出土した石垣を城門想定位置に配置したものです。
--------------------------------------
と書かれています。
おそらくこれが工事中に出土した石。
大量に出土すればもっと見栄えがしたのでしょうが、
それでもかつての様子を思い起こすことが出来ますね。
明和江戸図にも神田橋御門が描かれています。
上記の説明の通り神田橋御門は要所だった為、
明治の頃まで門前には何もなかったそうです。
その右手、「遠(?)藤下ツケ」と書いてある場所に
後に神田の家が建つことになります。
かつての神田橋の風情は
現在はありません。
2014年7月7日月曜日
市中繁栄七夕祭
どうも、今日は七夕ですが
生憎の雨、今年も織姫と彦星は会えないようです。
別の星の話なんだから地球の一地点に雲がかかっていようがいまいが関係ないんじゃないか、
とも思いますが。
七夕伝説をおさらいしましょう。
織姫と彦星は帝が持ってきた見合い相手で
会ってみたら非常に相性が良く
結婚したら仕事もせずに遊び呆ける様になった事に激怒した帝が
罰として年に一度しか会わせないようにした、という話だったと思いますが。
見合いの話を持ってきた帝の責任はどうなるんでしょうかね。
帝が仲人じゃ断れないですしね。
さて今日はこちら
七夕の様子を描いた作品 『市中繁栄七夕祭』 (詳しくは過去のブログへ)
名所江戸百景の絵師、歌川広重の自宅の屋根の上から描いたものではないかと言われています。
前方に富士山と、その右手に江戸城が。
東京駅八重洲口から徒歩5~10分ほどの所に
歌川広重の自宅跡があります。
ブリジストンビルの向かいのビル前に、
広重住居跡という看板が残っています。
もし本当にこの絵が広重宅からの景色で、
広重が別荘を持っていなかったら
おそらくこの辺りからの景色ということになります。
空撮は出来ませんでしたので地上から。
右手の道の奥に見える白いところが東京駅。
左手のビルの端に住居跡の看板が立っているのが見えますでしょうか。
この周辺は表通りから一歩裏路地へ入ると
小さなビルが多く、
神田や日本橋と同じ様な印象がありました。
せめて周辺で七夕飾りがあればと探したのですが
やはり見当たりませんでした。
生憎の雨、今年も織姫と彦星は会えないようです。
別の星の話なんだから地球の一地点に雲がかかっていようがいまいが関係ないんじゃないか、
とも思いますが。
七夕伝説をおさらいしましょう。
織姫と彦星は帝が持ってきた見合い相手で
会ってみたら非常に相性が良く
結婚したら仕事もせずに遊び呆ける様になった事に激怒した帝が
罰として年に一度しか会わせないようにした、という話だったと思いますが。
見合いの話を持ってきた帝の責任はどうなるんでしょうかね。
帝が仲人じゃ断れないですしね。
さて今日はこちら
七夕の様子を描いた作品 『市中繁栄七夕祭』 (詳しくは過去のブログへ)
名所江戸百景の絵師、歌川広重の自宅の屋根の上から描いたものではないかと言われています。
前方に富士山と、その右手に江戸城が。
東京駅八重洲口から徒歩5~10分ほどの所に
歌川広重の自宅跡があります。
ブリジストンビルの向かいのビル前に、
| 画広重と書いてある場所が住居だった |
広重住居跡という看板が残っています。
もし本当にこの絵が広重宅からの景色で、
広重が別荘を持っていなかったら
おそらくこの辺りからの景色ということになります。
空撮は出来ませんでしたので地上から。
右手の道の奥に見える白いところが東京駅。
左手のビルの端に住居跡の看板が立っているのが見えますでしょうか。
この周辺は表通りから一歩裏路地へ入ると
小さなビルが多く、
神田や日本橋と同じ様な印象がありました。
せめて周辺で七夕飾りがあればと探したのですが
やはり見当たりませんでした。
2014年7月4日金曜日
七夕絵どうろうまつり
おはようございます、えどむらです。
今日は江戸百景めぐりをちょっとお休みして、
神田西口商店街で昨日・今日と開催中の
「第12回 神田・秋田湯沢 七夕絵どうろうまつり」
の様子をお伝えします。
本来は秋田県湯沢市で行われているお祭りですが、
かつてこのあたりに秋田・佐竹藩の上屋敷があったことから
2年に一度、神田でも開かれるようになったとの事。
商店街の端から端まで、20以上の絵どうろうが飾られています。
人が集まっているのは、
羽後町西馬音内地区に700年前から伝わる「西馬音内盆踊り」。
現地では8月16日から3日間にわたって
篝火のたかれた通りで披露されるそう。
文化交流はいいですね。
今日は江戸百景めぐりをちょっとお休みして、
神田西口商店街で昨日・今日と開催中の
「第12回 神田・秋田湯沢 七夕絵どうろうまつり」
の様子をお伝えします。
本来は秋田県湯沢市で行われているお祭りですが、
かつてこのあたりに秋田・佐竹藩の上屋敷があったことから
2年に一度、神田でも開かれるようになったとの事。
商店街の端から端まで、20以上の絵どうろうが飾られています。
人が集まっているのは、
羽後町西馬音内地区に700年前から伝わる「西馬音内盆踊り」。
現地では8月16日から3日間にわたって
篝火のたかれた通りで披露されるそう。
文化交流はいいですね。
2014年7月3日木曜日
上野山した
はい、えどむらです。
今日は上野にやって来ました!
このお店、
後に「雁鍋(がんなべ)」という有名な料理屋に替わり、
幕末から明治の結構通な人が通う人気店になったそうです。
行ってみたいな~と思っていろいろ調べたのですが
残念ながらもうなくなってしまったみたいです。
伊勢屋の2階。
上野戦争の際に新政府軍がここに立て籠って
旧幕府軍を狙撃した事が勝利のきっかけになったとか、ならなかったとか。
ちなみに上野戦争が起きたのは146年前の今日・・・ではなく明日でした。
うーん、この記事明日にすればよかった。
この鳥居の先は五条天神。
今年の5月、湯島天神さんと一緒にお祭りがありましたね。
アメ横のすぐわきをお神輿が通っていました。
五条天神は何度か遷座を重ね、
現在は上野公園の中ではありますが別の場所にあります。
鳥居の先に、
まず現れるのは花園稲荷神社。
その先の階段を下りたところが
五条天神です。
茅の輪の木枠がまだ残っていました。
御祭神は
大黒様、恵比寿様、菅原道真公とのことですが
医薬祖神としてお祀りされています。
余談ですが、現在の五条天神の脇には
雰囲気の良いお食事処があります。
昼食をとっていなかったので調度良い!と思ったのですが
ゼロが一つ多くて入れませんでした。
そんなすさんだ心を慰めてくれた
ヘブンアーティストのマリンバの演奏。
いつまでも平和な日本であって欲しいですね。
ところで
なんかモデル体型に見えませんか?
昨日のする賀てふに出て来る人に比べると、
なんか違う気がするなあ。。。
上野山したに描かれる人も馬も
なんだかスリムな感じがします。
この作品、
実は2代広重によるものではないかという説があります。
なるほど、それで印象が違うんですね。
今日は上野にやって来ました!
今日の1枚 『上野山した』 です。
上野の山の下の方ですね。
厳密に言うと、上野山したの地域とはちょっとずれているらしいのですが。
現在の様子。
近くにはパンダさんが植わってました。
浮世絵の右手には「伊勢屋 しそめし」 と看板が見えます。
紫蘇飯、さっぱりしてそうだな~。
このお店、
後に「雁鍋(がんなべ)」という有名な料理屋に替わり、
幕末から明治の結構通な人が通う人気店になったそうです。
行ってみたいな~と思っていろいろ調べたのですが
残念ながらもうなくなってしまったみたいです。
ちなみに「雁鍋(がんなべ)」 という名は
屋根が雁の形をしていたからとか。
伊勢屋の2階。
上野戦争の際に新政府軍がここに立て籠って
旧幕府軍を狙撃した事が勝利のきっかけになったとか、ならなかったとか。
ちなみに上野戦争が起きたのは146年前の今日・・・ではなく明日でした。
うーん、この記事明日にすればよかった。
この鳥居の先は五条天神。
今年の5月、湯島天神さんと一緒にお祭りがありましたね。
アメ横のすぐわきをお神輿が通っていました。
五条天神は何度か遷座を重ね、
現在は上野公園の中ではありますが別の場所にあります。
鳥居の先に、
まず現れるのは花園稲荷神社。
その先の階段を下りたところが
五条天神です。
茅の輪の木枠がまだ残っていました。
御祭神は
大黒様、恵比寿様、菅原道真公とのことですが
医薬祖神としてお祀りされています。
余談ですが、現在の五条天神の脇には
雰囲気の良いお食事処があります。
昼食をとっていなかったので調度良い!と思ったのですが
ゼロが一つ多くて入れませんでした。
そんなすさんだ心を慰めてくれた
ヘブンアーティストのマリンバの演奏。
いつまでも平和な日本であって欲しいですね。
ところで
なんかモデル体型に見えませんか?
昨日のする賀てふに出て来る人に比べると、
なんか違う気がするなあ。。。
上野山したに描かれる人も馬も
なんだかスリムな感じがします。
この作品、
実は2代広重によるものではないかという説があります。
なるほど、それで印象が違うんですね。
2014年7月2日水曜日
する賀てふ
どうも、えどむらです。
毎日ブログを更新していると結構仕事が溜まる事に気づき(笑)
今日は非常にシンプルに、更新いたします。
本日はこちら 『する賀てふ』
以前、こちらのブログ記事でもご紹介いたしましたので、
詳しくはそちらをご覧ください。
名所江戸百景と言えばコレというほどあまりにも有名なので
今さらどうこう言うものでもないと思いますが
右手が三井住友信託銀行、左が日本橋三越デパートですね。
この浮世絵には描かれていませんが、
富士山と街並みの間、ちょうど雲で隠れている右手部分に
「金座」(金貨鋳造所)があったようです。
今の日本銀行がある場所ですね。
あれ、てことは今の中央区銀座にももともと銀貨鋳造所があったのかな?
と思い調べましたら、
もとは駿河に作られた「銀座」が、
その6年後に現在の銀座2丁目に移ってきたんだそうです。
なんでたった6年で移動させられちゃったんでしょうね。
全国に何カ所か「銀座」はあったらしいですが、
もっとも、全国にある○○銀座といった商店街は
現在の銀座のブランドイメージを拝借しているだけで
実際に銀貨鋳造所があった訳ではないんですね。
そりゃそうだ。
毎日ブログを更新していると結構仕事が溜まる事に気づき(笑)
今日は非常にシンプルに、更新いたします。
本日はこちら 『する賀てふ』
以前、こちらのブログ記事でもご紹介いたしましたので、
詳しくはそちらをご覧ください。
名所江戸百景と言えばコレというほどあまりにも有名なので
今さらどうこう言うものでもないと思いますが
右手が三井住友信託銀行、左が日本橋三越デパートですね。
この浮世絵には描かれていませんが、
富士山と街並みの間、ちょうど雲で隠れている右手部分に
「金座」(金貨鋳造所)があったようです。
今の日本銀行がある場所ですね。
あれ、てことは今の中央区銀座にももともと銀貨鋳造所があったのかな?
と思い調べましたら、
もとは駿河に作られた「銀座」が、
その6年後に現在の銀座2丁目に移ってきたんだそうです。
なんでたった6年で移動させられちゃったんでしょうね。
全国に何カ所か「銀座」はあったらしいですが、
もっとも、全国にある○○銀座といった商店街は
現在の銀座のブランドイメージを拝借しているだけで
実際に銀貨鋳造所があった訳ではないんですね。
そりゃそうだ。
2014年7月1日火曜日
神田紺屋町
こんにちは、えどむらです。
どうやら金曜に『鎧の渡し小網町』の現場を撮りに行った際、
全身びしょぬれになった事が原因で風邪をひいたらしく、
昨日はやむなくブログ更新をお休み。
水もしたたる良い女なんて言ってる場合ではありませんでした。
今日は、『神田紺屋町』をご紹介します。
現在も紺屋町の名は残っていますが、
皆様ご想像の通り、
今はこんな感じになっています。
浮世絵は高い視点でしたが
やはり登れるビルは見当たらず、
街路樹にも足掛かりになりそうな枝は見当たりませんでした。
現在の町の印象としては、ガラス・ゴム等の個人商店が多いような感じ。
画面左手の干し場。
右から、輪違い、市松、車文様と並び、
版によって色合いが違う(染色工程の違いでしょうか)ので、見比べてみると面白いかもしれません。
拡大図をご覧頂くと中央にはさらに二つの干し場と、
江戸城の富士見櫓が見えます。
紺屋町は、徳川家康から軍功として関東一円の藍の買い付けを許された、紺屋頭土屋五郎右衛門が支配していた町。五郎右衛門配下の藍染め職人が大勢住んでいました。
「場違い」という言葉は、紺屋町以外の地区で染める浴衣や手拭染めの事を江戸の人がそう呼んだ事に由来するそうです。モードの中心だったんですね。
どうやら金曜に『鎧の渡し小網町』の現場を撮りに行った際、
全身びしょぬれになった事が原因で風邪をひいたらしく、
昨日はやむなくブログ更新をお休み。
水もしたたる良い女なんて言ってる場合ではありませんでした。
今日は、『神田紺屋町』をご紹介します。
現在も紺屋町の名は残っていますが、
皆様ご想像の通り、
今はこんな感じになっています。
浮世絵は高い視点でしたが
やはり登れるビルは見当たらず、
街路樹にも足掛かりになりそうな枝は見当たりませんでした。
現在の町の印象としては、ガラス・ゴム等の個人商店が多いような感じ。
綺麗な藍染めがぼかしで表現されています。
布目刷りという技法で摺られていますが、
残念ながら画像ではその特徴をご覧頂けません。。。
布を押し当てて布目を紙に写し取る技法で
気になる方は、 芸艸堂さんの名所江戸百景復刻版をぜひご購入ください。
ヒとロを合わせた広重マークが染められています。
知良くんが「カズ」と呼ばれたり
英寿くんが「ヒデ」と呼ばれたりするように
広重も「ヒロ」と呼ばれてた、なんてことはあるんでしょうか。
出版元である魚栄(魚屋栄吉)の魚の字もありますね。
ちなみにすべての名所江戸百景には左下にこの版元の印が押してあります。
画面左手の干し場。
右から、輪違い、市松、車文様と並び、
版によって色合いが違う(染色工程の違いでしょうか)ので、見比べてみると面白いかもしれません。
拡大図をご覧頂くと中央にはさらに二つの干し場と、
江戸城の富士見櫓が見えます。
紺屋町は、徳川家康から軍功として関東一円の藍の買い付けを許された、紺屋頭土屋五郎右衛門が支配していた町。五郎右衛門配下の藍染め職人が大勢住んでいました。
「場違い」という言葉は、紺屋町以外の地区で染める浴衣や手拭染めの事を江戸の人がそう呼んだ事に由来するそうです。モードの中心だったんですね。
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