どうやら金曜に『鎧の渡し小網町』の現場を撮りに行った際、
全身びしょぬれになった事が原因で風邪をひいたらしく、
昨日はやむなくブログ更新をお休み。
水もしたたる良い女なんて言ってる場合ではありませんでした。
今日は、『神田紺屋町』をご紹介します。
現在も紺屋町の名は残っていますが、
皆様ご想像の通り、
今はこんな感じになっています。
浮世絵は高い視点でしたが
やはり登れるビルは見当たらず、
街路樹にも足掛かりになりそうな枝は見当たりませんでした。
現在の町の印象としては、ガラス・ゴム等の個人商店が多いような感じ。
綺麗な藍染めがぼかしで表現されています。
布目刷りという技法で摺られていますが、
残念ながら画像ではその特徴をご覧頂けません。。。
布を押し当てて布目を紙に写し取る技法で
気になる方は、 芸艸堂さんの名所江戸百景復刻版をぜひご購入ください。
ヒとロを合わせた広重マークが染められています。
知良くんが「カズ」と呼ばれたり
英寿くんが「ヒデ」と呼ばれたりするように
広重も「ヒロ」と呼ばれてた、なんてことはあるんでしょうか。
出版元である魚栄(魚屋栄吉)の魚の字もありますね。
ちなみにすべての名所江戸百景には左下にこの版元の印が押してあります。
画面左手の干し場。
右から、輪違い、市松、車文様と並び、
版によって色合いが違う(染色工程の違いでしょうか)ので、見比べてみると面白いかもしれません。
拡大図をご覧頂くと中央にはさらに二つの干し場と、
江戸城の富士見櫓が見えます。
紺屋町は、徳川家康から軍功として関東一円の藍の買い付けを許された、紺屋頭土屋五郎右衛門が支配していた町。五郎右衛門配下の藍染め職人が大勢住んでいました。
「場違い」という言葉は、紺屋町以外の地区で染める浴衣や手拭染めの事を江戸の人がそう呼んだ事に由来するそうです。モードの中心だったんですね。
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