2012年6月13日水曜日

御江戸いろは組町分図:町火消

こんにちは、皆様いかがお過ごしでしょう?

さて、本日は当時の江戸町における消防署の前身である
町火消し】の歴史をちょこっとご紹介しようと思います。


開幕~(゜∀゜)

こちらの写真は、嘉永4(1851)年の江戸町の火消配置図でございます!



江戸時代、享保3(1718)年に町奉行、大岡越前守忠相によって
町火消という消防団の前身となる制度が施行されました。

儒者である荻生徂徠の意見を取り入れたそうです。

さらに、この町奉行が2年後の1720年に「いろは四十八組」を編成して
本格的な制度を発足させました。

この「いろは組」は、位置としては隅田川を境に西側区域に組織されたものです。

興味深くておもしろいのが、いろはに~の中の「へ」「ら」「ひ」「ん」の文字は
それぞれ「百」「千」「万」「本」に変えられたみたいです!
なぜかと言うと、「へ」→屁
           「ひ」→火
            「ら」→隠語
                「ん」→語呂悪しき
と、なるからみたいです(゜∀゜)

組織化が図られた町火消の方々は、互いに名誉をかけて働くようになり、
纏(まとい)をかかげて功績を競ったようです。

しかしながら当初、まかされる範囲は町屋のみに限られていて武家屋敷の火災には
纏をあげることは許されてませんでした。ですが、功績が認められるにつれて武家屋敷の
火災は勿論、延享4(1747)年には江戸城二之丸の火災にも尽力し、定火消や大名火消にも
勝るとも劣らぬ実力を示し、町火消全盛期時代を築いたとさ。

めでたしめでたし!


最後に、この町火消の変遷を。

町火消 → 消防組(明治5年) → 警防団(昭和14年) → 消防団(昭和22年)

町火消の名残は(社)江戸消防記念会に引き継がれ、
平成12年時点で88組、約1,000人余の会員の方々が
伝統を守り続けているようです・・・

なんとも素敵!!



因みに、内神田は元、鎌倉町ですので一番組のよ組に属しております。

タテで申し訳ありません・・・



もっともっと詳細を知りたい方は、http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_03.htm

こちらの東京消防庁様のウェブをご覧くださいませ~♪

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