こんにちは、皆様いかがお過ごしでしょう?
さて、本日は当時の江戸町における消防署の前身である
【町火消し】の歴史をちょこっとご紹介しようと思います。
開幕~(゜∀゜)
こちらの写真は、嘉永4(1851)年の江戸町の火消配置図でございます!
江戸時代、享保3(1718)年に町奉行、大岡越前守忠相によって
町火消という消防団の前身となる制度が施行されました。
儒者である荻生徂徠の意見を取り入れたそうです。
さらに、この町奉行が2年後の1720年に「いろは四十八組」を編成して
本格的な制度を発足させました。
この「いろは組」は、位置としては隅田川を境に西側区域に組織されたものです。
興味深くておもしろいのが、いろはに~の中の「へ」「ら」「ひ」「ん」の文字は
それぞれ「百」「千」「万」「本」に変えられたみたいです!
なぜかと言うと、「へ」→屁
「ひ」→火
「ら」→隠語
「ん」→語呂悪しき
と、なるからみたいです(゜∀゜)
組織化が図られた町火消の方々は、互いに名誉をかけて働くようになり、
纏(まとい)をかかげて功績を競ったようです。
しかしながら当初、まかされる範囲は町屋のみに限られていて武家屋敷の火災には
纏をあげることは許されてませんでした。ですが、功績が認められるにつれて武家屋敷の
火災は勿論、延享4(1747)年には江戸城二之丸の火災にも尽力し、定火消や大名火消にも
勝るとも劣らぬ実力を示し、町火消全盛期時代を築いたとさ。
めでたしめでたし!
最後に、この町火消の変遷を。
町火消 → 消防組(明治5年) → 警防団(昭和14年) → 消防団(昭和22年)
町火消の名残は(社)江戸消防記念会に引き継がれ、
平成12年時点で88組、約1,000人余の会員の方々が
伝統を守り続けているようです・・・
なんとも素敵!!
因みに、内神田は元、鎌倉町ですので一番組のよ組に属しております。
もっともっと詳細を知りたい方は、http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_03.htm
こちらの東京消防庁様のウェブをご覧くださいませ~♪
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