私事で恐縮ですが、自宅から駅まで約2kmを歩いて通勤するのですが、最近は早朝から暑くて心底まいってしまいます・・・駅に着くと汗だくです(+_+)さらに、セミがうじゃうじゃいる並木道を通るのですが最強虫苦手人間にとってここを通り抜けるのに冷や汗をかくので暑さ倍増!!
秋が待ち遠しい次第ですね。
さて、昨日、事務所で「神田川」が話題に上がりました!水源は一体全体どこなのだ\(゜ロ\)(/ロ゜)/と。発端は、事務所のすぐ脇を通る神田川。
インターネットで検索すればすればすぐに出てきます。偉大なるwikipedia先生万歳♪
ですがこの答えを知っている方は多くはないのではと思います。
なので、神田川にまつわる話を江戸時代まで遡ってみましょう(゜∀゜)
【始まり始まり~】
■まず、上記の答えは井の頭池です。神田川の誕生はというと、秀忠公の時代の元和2年(1616)
から神田山を切り開き開削し始めた時。元々「平川」と呼ばれていたそうな。
これは江戸城の外堀の役割と神田上水を設けるために行われました。完成は万治3年(1660)。
「神田川」の名前の由来は、神田山を切り開いてつくったため・神田を流れているためと言われて
いるようですが、シンプル!!また、この開削作業を仙台藩が請け負っていたため「仙台堀」とも呼
ばれたそう。
今現在の皇居のお濠に平川濠という名前のものがあり、位置もばっちり神田川と合流していただ
ろう場所にあります。
そして隅田川(別名:大川)へ合流し、東京湾へ流れ出るわけです。
■上記で出てきた神田上水、江戸時代には大変に重宝され活用されていたものですがどんな役目
だったかご存知でしょうか??
ヒント⇒生活必須物資。これがないと生きていけない!
↓
正解⇒水道水☆ むしろ名前がかなりのヒントでしたね;苦笑
関口(文京区)において神田川に堰をつくって江戸市中へその流れを引きました。なので神田川は神田上水の下流部にあたるわけです。
さらにすごいのは、街路の下に木桶を張り巡らせこの上水を町中へ流していたということです!!
驚きました\(゜ロ\)(/ロ゜)/
外堀を越えさせる為に、御茶ノ水の少し上の位置で懸樋(水道橋)を利用して神田川(外堀)を越えたんですって!そして後にこの懸樋の隣にあった橋も水道橋と呼ばれるようになったと。
懸樋って、ローマでみられる水を流すための橋のようなものと同じ?!これに感動~
江戸の最初の上水が神田上水、次いで玉川上水の順番です。
※当時の堀:江戸城を中心にひらがなの「の」の字の様に右回り螺旋状になっていた!
さらにさらに、当時でも水道使用料がかかったみたいです(>_<)武士は禄高・町人は間口によって決められていたなんて、制度もしっかり運用されてたんですねー!!徳川将軍に脱帽です。
さらに月日は経ち、昭和40年(1965)に旧神田上水を含めて「神田川」という名に統一されたようです。
ではここで・・・ 歌川広重『名所江戸百景 せき口上水端はせを庵椿やま』
何とも風情があります♡
これを読んでくださった方、これであなたも東京お江戸通かも♪♪
参考文献:江戸文化歴史検定公式テキスト『大江戸見聞録』 小学館 2012年
P.S. そうです、参考文献・・・来たる10月に江戸検定を受験しようと一念発起した乙女も勉強中なの
です(゜∀゜)合否をお楽しみに・・・
では。
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