2014年7月3日木曜日

上野山した

はい、えどむらです。

今日は上野にやって来ました!



今日の1枚 『上野山した』 です。

上野の山の下の方ですね。
厳密に言うと、上野山したの地域とはちょっとずれているらしいのですが。





現在の様子。






近くにはパンダさんが植わってました。










浮世絵の右手には「伊勢屋 しそめし」 と看板が見えます。
紫蘇飯、さっぱりしてそうだな~。


このお店、
後に「雁鍋(がんなべ)」という有名な料理屋に替わり、
幕末から明治の結構通な人が通う人気店になったそうです。
行ってみたいな~と思っていろいろ調べたのですが
残念ながらもうなくなってしまったみたいです。





ちなみに「雁鍋(がんなべ)」 という名は
屋根が雁の形をしていたからとか。






伊勢屋の2階。
上野戦争の際に新政府軍がここに立て籠って
旧幕府軍を狙撃した事が勝利のきっかけになったとか、ならなかったとか。


ちなみに上野戦争が起きたのは146年前の今日・・・ではなく明日でした。
うーん、この記事明日にすればよかった。







この鳥居の先は五条天神。
今年の5月、湯島天神さんと一緒にお祭りがありましたね。
アメ横のすぐわきをお神輿が通っていました。







五条天神は何度か遷座を重ね、
現在は上野公園の中ではありますが別の場所にあります。




鳥居の先に、


 まず現れるのは花園稲荷神社。






その先の階段を下りたところが
五条天神です。

茅の輪の木枠がまだ残っていました。




御祭神は
大黒様、恵比寿様、菅原道真公とのことですが
医薬祖神としてお祀りされています。










余談ですが、現在の五条天神の脇には
雰囲気の良いお食事処があります。
昼食をとっていなかったので調度良い!と思ったのですが
ゼロが一つ多くて入れませんでした。






そんなすさんだ心を慰めてくれた
ヘブンアーティストのマリンバの演奏。
いつまでも平和な日本であって欲しいですね。








ところで




なんかモデル体型に見えませんか?










 昨日のする賀てふに出て来る人に比べると、






なんか違う気がするなあ。。。






上野山したに描かれる人も馬も
なんだかスリムな感じがします。



この作品、
実は2代広重によるものではないかという説があります。
なるほど、それで印象が違うんですね。



2014年7月2日水曜日

する賀てふ

どうも、えどむらです。

毎日ブログを更新していると結構仕事が溜まる事に気づき(笑)
今日は非常にシンプルに、更新いたします。


本日はこちら 『する賀てふ』





以前、こちらのブログ記事でもご紹介いたしましたので、
詳しくはそちらをご覧ください。

名所江戸百景と言えばコレというほどあまりにも有名なので
今さらどうこう言うものでもないと思いますが




 右手が三井住友信託銀行、左が日本橋三越デパートですね。






この浮世絵には描かれていませんが、
富士山と街並みの間、ちょうど雲で隠れている右手部分に
「金座」(金貨鋳造所)があったようです。
今の日本銀行がある場所ですね。

あれ、てことは今の中央区銀座にももともと銀貨鋳造所があったのかな?
と思い調べましたら、
もとは駿河に作られた「銀座」が、
その6年後に現在の銀座2丁目に移ってきたんだそうです。
なんでたった6年で移動させられちゃったんでしょうね。


全国に何カ所か「銀座」はあったらしいですが、
もっとも、全国にある○○銀座といった商店街は
現在の銀座のブランドイメージを拝借しているだけで
実際に銀貨鋳造所があった訳ではないんですね。
そりゃそうだ。

2014年7月1日火曜日

神田紺屋町

こんにちは、えどむらです。

どうやら金曜に『鎧の渡し小網町』の現場を撮りに行った際、
全身びしょぬれになった事が原因で風邪をひいたらしく、
昨日はやむなくブログ更新をお休み。
水もしたたる良い女なんて言ってる場合ではありませんでした。



今日は、『神田紺屋町』をご紹介します。



 現在も紺屋町の名は残っていますが、




皆様ご想像の通り、
今はこんな感じになっています。

浮世絵は高い視点でしたが
やはり登れるビルは見当たらず、
街路樹にも足掛かりになりそうな枝は見当たりませんでした。


現在の町の印象としては、ガラス・ゴム等の個人商店が多いような感じ。
 




綺麗な藍染めがぼかしで表現されています。

布目刷りという技法で摺られていますが、
残念ながら画像ではその特徴をご覧頂けません。。。

布を押し当てて布目を紙に写し取る技法で
気になる方は、 芸艸堂さんの名所江戸百景復刻版をぜひご購入ください。




ヒとロを合わせた広重マークが染められています。
 
知良くんが「カズ」と呼ばれたり
英寿くんが「ヒデ」と呼ばれたりするように
広重も「ヒロ」と呼ばれてた、なんてことはあるんでしょうか。



 出版元である魚栄(魚屋栄吉)の魚の字もありますね。



 ちなみにすべての名所江戸百景には左下にこの版元の印が押してあります。






画面左手の干し場。
右から、輪違い、市松、車文様と並び、
版によって色合いが違う(染色工程の違いでしょうか)ので、見比べてみると面白いかもしれません。




拡大図をご覧頂くと中央にはさらに二つの干し場と、
江戸城の富士見櫓が見えます。


紺屋町は、徳川家康から軍功として関東一円の藍の買い付けを許された、紺屋頭土屋五郎右衛門が支配していた町。五郎右衛門配下の藍染め職人が大勢住んでいました。

「場違い」という言葉は、紺屋町以外の地区で染める浴衣や手拭染めの事を江戸の人がそう呼んだ事に由来するそうです。モードの中心だったんですね。

2014年6月27日金曜日

鎧の渡し小網町

どうもえどむらです。

今日の東京は大雨の予報でしたっけ・・・?
よりによって大降りの時に出かけてしまい、
全身に水を滴らせることになり。
もともと良い女なのが更に良い女になってしまいました。




今日は、

名所江戸百景 『鎧の渡し小網町』



場所は日本橋から東南東。

左手は小網町の鎧河岸。
水運の便が良く、荷物を納める蔵が一面に建ち並んでいます。


日傘をさす女性がいる対岸は茅場町。
現在、東京証券取引所があるあたり。

以前はここを渡し船が結んでいたんですね。





お客さんのほとんどが日傘をさしたり笠をかぶっています。
相当日差しが強いよう。




 猪牙船の向こうには




積んでいるのはお茶だという説と
日本酒「正宗」だという説があるそうで。


私は正宗の様な気がしますが・・・・


こんなに大きく「茶」とは書きませんよね、たぶん。




お姉さんの着物の柄も素敵ですね。




同じ地点で土砂降りのなか撮った写真がこちら。
雨傘バージョン。




明治5年に鎧橋がかけられ、渡し船が姿を消しました。



鎧河岸には、白い蔵こそありませんが
白いビルが建っていました。








で、近くに「兜神社」がございましたのでお参りしてきました。
鎧とは反対側に兜があるんですね。







御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
加えて大黒様と恵比寿様も合祀されている。





弘化2年(1845)に描かれた地図に
鎧稲荷(平将門公を祀ったのが起源とも) と兜塚が描かれているのが最も古い資料のようで、
のちに合併して兜神社になったそうです。





社殿の左手にある兜岩。

この岩には数々の伝説があり、
その中には藤原秀郷が平将門を打った際、
首を兜に添えてここまで運び、兜を個々に埋めて塚を築いた、
というのもあるそうです。



2014年6月26日木曜日

日本橋江戸ばし

今日は休載の予定でしたが
何故か更新しております。

さて今日の一枚はこちら。

名所江戸百景『日本橋江戸ばし』



日本橋から東の方角を眺めたもの。






奥に見えるのが江戸橋で、
右手には、木更津河岸の船着き場の様子が描かれています。



ん?何で木更津?
と思って調べてみたら、

鎌倉河岸と似たような物で、
江戸時代、木更津から来た船頭に独占的な輸送権を与えれた場所、なんだそうです。




木更津河岸の対岸は、魚河岸がありました。
そこで仕入れて来たであろうカツオが
天秤棒で吊り下げた、たらいの中に入っています。
なにやらこれは初鰹のようです。




という事は、これは夜明けと判断できます。
夕方だったら腐ってますもんね。





はい、というわけで
やって来ました日本橋。



コレドが出来たおかげか
ご夫人方で賑っております。




江戸百景とほぼ同じ構図で撮ったのがこちら。






一応、遠くに江戸橋も見えます。





木更津河岸に船着き場を発見。



なるほど、ここから日本橋クルーズ船が出航しているようです。
 




今は魚河岸はありませんが、
 

 



















続いているお店が当時を思い起こさせます。