2014年7月8日火曜日

神田橋御門

今日は浮世絵をお休みして
「大手町川端緑道」のお話から始めたいと思います。



神田の家が建っていた鎌倉河岸の対岸に
今年の4月にオープンした「大手町川端緑道」。
お昼時には、川辺のベンチでランチをとるOLさんの姿も見られます。





 そこに建っている看板に





神田橋門石垣跡とあります。



その場所まで行ってみると
こんな看板が。




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多くの堀に囲まれた江戸城には、
「三十六見附」と呼ばれるように、
道路と堀の交差する場所には敵の進入を防ぐための城門がありました。
神田橋門もそのひとつで、外堀(現在の日本橋川)に架かる外郭門で、
芝崎口・神田口・大炊殿橋とも呼ばれ、
寛永6年(1629)に下野真岡藩主稲葉正勝によって構築されました。
特にこの門は、将軍が寛永寺や東照宮に行くための御成道に位置するために、
その警備は重要でした。
明治5年(1872)に門は取り壊されましたが、
地中には城門石垣の一部が残されており、
ここに並べた石は工事中に出土した石垣を城門想定位置に配置したものです。
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と書かれています。






おそらくこれが工事中に出土した石。

大量に出土すればもっと見栄えがしたのでしょうが、
それでもかつての様子を思い起こすことが出来ますね。





明和江戸図にも神田橋御門が描かれています。
上記の説明の通り神田橋御門は要所だった為、
明治の頃まで門前には何もなかったそうです。

その右手、「遠(?)藤下ツケ」と書いてある場所に
後に神田の家が建つことになります。





かつての神田橋の風情は




現在はありません。

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